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狸小路商店街 −サイ(゚∀゚)タマ!!−

東方プロジェクトとサイ(゚∀゚)タマ!!県を斜め下から眺める場所


価値無き要塞

CA340075.jpg

副都心線が開通しまして、地元の駅の案内板にも渋谷の文字が誇らしげに
刻まれる今日この頃。
まいどお久しぶりです。ムサシの国がシブヤん界隈に繋がるのは撃沈フラグ
満載な気がしてならないSEVEN OUTですが、皆様いかがでしょうか?

さて京都日記更新は既に西方浄土での出来事になってしまったので、
今回から新たに始めましょう新カテゴリ、サイ(゚∀゚)タマ!!

京都は確かにすばらしい街でしたが、埼玉だってきっと頑張れば京都の
ような素晴らしい観光地として紹介できる筈!!
そもそも誰もが知ってる観光地に今更スポットを当ててるだけでは真の
旅行ガイドとは言えんのです!!

さあ始めましょう!!
素晴らしい文化、史跡、名物で織り成される彩の国奇行サイ(゚∀゚)タマ!!
これから御来店される皆様が大の埼玉好きになりますよう店主頑張って
洗脳を・・・って、あ! 待って! 逃げないで! 逃げないでって言うか
無視しないで! 

にとりんヤブれたり

で、今日のイメージはにとりんな訳ですよ。
にとりんと言えば三面道中で光学迷彩を使用していたと言う事で有名ですが、
その光学迷彩について少し言いたいことがあります。
なんでテレビ版の攻殻機動隊の光学迷彩はあんないかにも特殊部隊って
感じのプロテクターなのかと!
やっぱり光学迷彩っつったら映画版のアレだろうと!
と言うわけで、にとりんも光学迷彩を破られたんならこうなるべきだろうと!

そう友人に熱弁したところ、それじゃお前はバトーがコレでいいのかと言われて、
僕は目と耳と口を塞いだ人間になった訳ですが。

山口2

そんな所で話を元に戻しまして、ようやく本日の御題。
我が地元に残る鎌倉時代からの史跡、山口城。
別名、価値無き要塞でございます。

ええ、風の三面道中は瑕疵無き要塞です。
無理矢理が酷いですね。

山口3

前回御紹介しました、この地元の八雲神社。
別に本社でも無ければ社格が高い訳でも無いのですが、ただの神社かと
言うと、それだけとも言い切れない。
なぜ言い切れないかと言うと、この神社は鎌倉時代から安土桃山時代まで
この地を支配していた山口氏が鬼門の方角の守護に建てたという、つまり、
京都でいうところの比叡山にあたる役割を持つ(藁、軽く800年近い歴史が
ある由緒正しき(?)古社なので御座います。

そもそも、我がふるさと埼玉県T市は二万年前から人が住んでいた遺跡が
ある訳でして、京都より遥かに古い歴史があるわけですよ。
京都が千年帝都なのに対抗し、我がT市は敢えて名乗ろう! 万年ど田舎と!

・・・あれ?

まあその山口氏が平安末期に築城し、代々居城としていた城が、何のひねりも
無いこの山口城な訳ですが、この城の戦歴がまた凄い。

まずは南北朝時代、1368年の武蔵平一揆のおりに南朝方について破れ落城。
それから1383年、落城当時の城主山口高清の子、高治が再び南朝方について
足利幕府に挑むもあっけなく敗れて高治は城に火を放ち自害。当然落城。
その後関東管領上杉氏の勢力に入るも北条氏が台頭してくると、これまた
あっさりと敗れてその支配下に。
その北条氏も、豊臣秀吉に攻められて滅びると、もののついでに落城、そこで
ついに命運つきて廃城。

そのまま現代に至り、それでもかつてお城があった場所だからと手付かずの森として
敷地は残されていたのですが、10年程前でしたか、あったんだかなかったんだか
解らない反対運動も空しくファッション市場サンキに本丸跡地を奪われ、現在はこの
何がなんだか解らない土塁をのざらすばかり。

山口1

日本全国、これ程敗戦に敗戦を重ねた城が他にありましょうか。
というか普通お城って一回落とされたらそこで終りなのに、一回も居城と
する一族が変わることなく(最後まで山口氏)、そのくせ一回も勝つ事なく、
現在にその壮絶なる負けっぷりの痕跡を、それでも残し続けるこの城(?)は、
実は密かに貴重なんじゃないかと。

と言うわけでサイ(゚∀゚)タマ!!、記念すべき一回目は地元一番の史跡、山口城跡
をお届けいたしました。
埼玉県には、今まで誰も見向きもしなかったどうでも良い歴史がたくさん残って
いるのです。
この商店にお立ち寄りになった皆様が、そんな歴史に触れる事で、埼玉県の
イメージが変わるなら、そのように店主、これより頑張って参ります。

今後とも、何卒よしな……に。


……なんだろう、この押し寄せる虚しさは。
つい数ヶ月前までは、犬も歩けば世界遺産の話ばかりだったと言うのに。
ぐう・・・ううおおおおおおおおおおうう(号泣


彩の国よ!! 私は帰ってきた!!

警告
このサイトを見るとサイ(゚∀゚)タマ!!ウィルスに感染する恐れがあります。
サイ(゚∀゚)タマ!!ウィルスに感染すると、突然むしょうにサイ(゚∀゚)タマ!!と
叫びたくなりますので、気をつけてくだサイ(゚∀゚)タマ!!
残念ながらサイ(゚∀゚)タマ!!ウィルスを完全に治療する方法は現ザイ(゚∀゚)タマ!!
見つかっておりません。

それでもよろしければ、是非ともお付き合い下サイ(゚∀゚)タマ!!



    
             ↓↓↓この先十万石饅頭↓↓↓




さいたまねこ

お久しぶりですSEVEN OUTです。
生まれ故郷に帰ってまいりました><
イメージカット、この最近(?)の流れがちょうどゆかりん、らんさまと八雲八雲
してたので、流れにのって景気良く赤鬼青鬼をぶっぱなす橙の図です。

・・・・・・ん? 他に何か見えますか?

さて東方地霊殿の体験版が配布され、緋想天も製品版となる今日この頃。
皆様いかがおすごしでしょうか?
私は緋想天だけは店頭でゲットしましたが、PCが中ブルだからまともに
起動せんしガン無駄。現在おあずけ放置プレイ状態。

ああ、新しいPCが欲しい!!
しかしVistaは要らん!!
来年でる窓七にも期待できない!!
それよりも何よりも、まず第一に金が無い!!
プレイする時間も無い!!


.                 orz


改めて東京とサイ(゚∀゚)タマ!!は遠いと思いしる毎日です(ノд`)

まあそんなこんなで商店の方、サイ(゚∀゚)タマ!!にて一応復活いたしました。
ペースは遅いですけど、なんとかやっていこうと思います。
お越し頂いたお客様に、いつも明るい笑顔とサイ(゚∀゚)タマ!!を、をモットーに
店主SEVEN OUT頑張ってまいります。
もしよろしければ、今後なにとぞごひいきにお願い致しますm(_ _)m

おやくもさま

オマケ:実家のすぐ近く、八雲神社。


一時閉店のお知らせ

♪京都よさらば また来る日まで
  祇園を後に 新名神道
  帰りにすれば 遠ざかる
  まぶたに映る 二条城

のれん藍ちゃん

京都狸狸小路商店街、およそ10ヶ月の短い営業期間でしたが、
店主SEVEN OUT、非常に楽しい時間を過ごす事が出来ました。

飽きっぽい店主が本日まで営業してこれたのは、ひとえに御来店
くださった皆様よりの日頃の御愛顧の賜物で御座います。
心よりの感謝を申し上げます、本当に有難う御座いました。

最後に何かやろうと思っていましたが、時間の関係上絵を一枚だけ。
引越しって思ったより時間かかるんですよね(ノд`)
狐さんで始まった狸の商店、〆も狐さんにご挨拶をお願いいたしました。

余談ですが、久しぶりに藍様が描けて幸せで御座います。
やっぱりねぇ、心からおふくろさんって呼べる東方キャラは藍様だけですねぇ。
もちろんゆゆ様の母性も凄いですけど、妖夢専用みたいな所がありましてね。
いや藍様も橙専用だろという向きがあるかと思われますが、そこはおふくろさん
定義の方程式にはめるとまず(以下100kbのテキストを抹消

さて商店の方、まことにお名残惜しいですが、これよりしばらく充電期間に
移行ため一時閉店とあいなります。

今後の運営方針はまだ未定で御座いますが、必ず戻る所存ではありますので、
しばしのあいだ、さいたまさいたまさいたまでお待ち下さい。
出来たら例大祭の後にでも更新再開したいところであります。

では、狸の商店、これにてのれんとさせて頂きまして、店主、東の故郷へと
帰らせて頂きます。

最後になりましたが、京都の街の人達に。
短い間でしたが、本当に有難う御座いました。
本当に私は、この街での生活が大好きでした。


京都桜巡りの旅  〜 三週目 〜

昼間に来られた方、ボンジュール。
夜間に来られた方、ボンソワール。
いつも有難う御座います、SEVEN OUTです。

たぬりん

実は先週末の事ですが、オウハク様のサイトにある絵茶に誘われまして、
実に楽しい時間をすごさせて頂きました。
で、その時に普段ベジェ曲線等のデジタルお絵かき機能に頼りきっていた
自分のふがいなさを痛感いたしまして、一念発起して線画から塗りまで全部
フォトショでやってみよう、そう無謀な事を考えた結果がこのたぬりんだよ!!

げに、線が太く汚いのう(ノд`)

まあ、絵のできばえはともかく、気づけばこのサイトも二万Hitを迎えました。
御来店のお客様、日頃の御愛顧に心より感謝いたします。

お疲れ単車

感謝といえば、もう10年近くになりますか、私を乗せて東へ西へと奔走してくれている
私の愛馬にも感謝、こいつが居たからこそ関西圏の様々な場所を気ままに巡る事が
出来たのですから。

さて今日は京都の桜巡り三週目、と言っても実際は先週末、弘川を尋ねた次の日の
事なのですが、本当は今週末御室仁和寺を巡って〆としかったのですけど、おりしも
先週木、金の強い雨に散らされてしまいまして(ノд`)
先週末では満開にやや早く、今週末では手遅れだった、なんとも無念ですが、この
リベンジはいつしか必ず(`・ω・´)

上加茂神社楼門

さて今日の一番バッターは二回目の登場となります上加茂神社の楼門前より。
桜はソメイヨシノより約一週間遅く満開となる加茂桜の白い花で御座います。
先々週の写真と見比べて頂ければ時間の推移をご確認していただけるかと。

上加茂神社参道桜

その他、境内の八重紅枝垂桜も満開となっておりました。
しかし、ソメイヨシノや枝垂桜は既に散っておりまして、JR東海のCMのように
境内の全ての桜が満開になっている時、というのは難しいようで。

千本ゑんま堂

お次は千本ゑんま堂こと引接寺。
ここにも遅咲き種の桜があるとの事。
本当は、ここは映姫様の絵とともにじっくり御紹介したかったのですけどもね(ノд`)

紫式部供養塔

境内にある紫式部の供養等。
紫式部の御墓は現在島津製作所の一角に、閻魔大王の書記官として勤めたという
小野篁の墓と並立してありますが、このゑんま堂にもなぜか供養等があるんですね。

前にも御紹介しましたが、紫式部が生前、皇室に纏わる色恋話ばかり書いていた
咎で地獄に堕とされる筈だったところ、小野篁が弁護し、その難を救ったという故事に
なぞらえて、との事ですけれども、紫と、閻魔と、閻魔大王を補佐する小野氏の人物。
そしてそれらの事件は、およそ千年前、東方年表としては、西行妖が最後の満開を
迎えた時期と符号する。

予言しよう!
儚月抄終了の後、次なる東方の雑誌連載はここら辺をメインテーマとした西行妖伝説
になるだr(閑話休題

普賢象サクラについて

で、その供養塔のところに咲いているのが、普賢桜という八重桜の一種です。
その名の由来は、普賢菩薩が乗っているとされる象、この桜のめしべがその象の
鼻の形を思わせるという事でその名がつけられたそうです。

普賢象サクラの花

その象の鼻の写真、真ん中の緑色のがそうなのですけど、解りますかな^^;?
それにしても、今年は花がやたら遅いらしく、ゑんま堂の桜はまだ三部咲き程度でした。

造幣局

この普賢象桜、大阪造幣局の名物、桜通り抜けの道で今年の桜に選ばれておりました。
こちらは綺麗に咲いていましたね。

善峰寺山門

さて京都遅咲きの桜の名勝、もう一件ご紹介しておきましょう。
こちら、京都市内からは少し離れますが、かつての長岡京の西に位置する善峰寺で
御座います。
写真でもご確認できるかと思いますけども、境内が少し高い山の中腹にあるためか、
ソメイヨシノが市内より一週間おくれて満開となっています。

桂昌院御手植えの枝垂れ桜

この善峰寺の境内には、生類哀れみの礼で悪名を馳せた徳川五代将軍綱吉公の母君、
桂昌院様がお手植えされたと言う、樹齢300年の枝垂桜がありまして、こちらも市内の
桜より一週間後あたりが見頃になります。

善峰寺桜園

善峰寺境内は、御山の中という事もありかなりの傾斜地にあるのですが、その斜面を
活かし、一つ一つは小さいながらも様々な桜が咲き誇り、まるで雛壇のようになっている
桜園があります。

善峰寺境内

また境内の上からは、京都市内はもちろん大阪の方まで見渡せる展望も楽しめます
仕事の関係で市内の桜の盛りを逃した><!
と言う方に是非ともお勧めのスポットです。

以上、3回に渡ってお伝えしてきた京都桜巡りの旅、いかがだったでしょうか?
京都日記は、今回で最終回となります。

レトロスペクティブ京都、この国の文化を育んできた千年の都は、生活してきた
二年だけでは、まだまだ味わい尽くせない程の魅力を秘めていました。
その語りつくせぬ魅力の一部でも、ここを訪れた方々にお伝えできる事が出来て
いたなら、店主は幸せで御座います。

そんなところで今回の商店はお開きとさせて頂きます。
来週、おそらく定期更新としては最後となりますでしょう京都からの商店。
是非お楽しみに。


リポリトジ・オブ・ヒロカワ

まいど、SEVEN OUTです。

と、いつものように始める前に、ちょっとだけ失礼しまして、前々回は沢山の
拍手を有難うございました。
当商店、拍手レスは当該記事のコメント欄にて返信させて頂いております、が。
最近拍手レスがこちらに届かないケースがあるらしく、最近万が一送信して頂いた
連絡事項等のレスに返信が無かった場合等、匿名でも結構ですので、コメント欄に
一報お寄せ下さいますようお願い致します。
ご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。


さて今日の商店は東方プロジェクト縁の地を訪ねる幻想見聞録。
旅の行く先は西行法師終焉の地、弘川寺へと駒を向けた時の事を一つ。

京都から弘川へは竹田街道こと国道24号線を南へ下りまして、稗田阿礼の
賣太神社を通り過ぎ、佐保川を渡り南へ南へ、大和川も打ち過ぎまして、
かぐや姫の讃岐神社を尻目に殺し、24号線から南阪奈道を西へと進路を
変えてドンドンドンドン出てまいりますと、葛城山の野辺へかかってまいります。
何しろ春先でございます、空にはヒバリやウグイスがチィチィとさえずってまして、
野には陽炎が燃えていようかと言う。

遠山に霞みがたなびいて、桜の木々も花盛り。
麦が青々と伸びた中を菜種の花が彩っていよう本陽気。
その中を単騎鉄の駒でゆく、その道中の陽気なことー!

弘川の野辺

と、落語の愛宕山の一節を真似して始めさせて頂いた訳ですけれど、当日はまさに
この小噺の通りの気持ちの良いお天気でして、そして写真でおわかり頂けるかと
思いますが、弘川の野辺が魅せる春の風景の気持ちの良い事。

まさに、のどかな、という形容がぴたりと当てはまる、そんな里山にちょこんと建っている、
この可愛らしい御堂こそ、大の桜好きの歌仙、西行法師がその生涯を終えた弘川寺で
ございます。

弘川寺入り口

三門の変わりに枝垂れ桜がアーチをつくっており、これはその下からお堂を覗かせて
いただいた所。
流石は桜好きの西行法師縁のお寺、入り口からして実に風雅な門構えでございますな。

西行法師については、古典苦手の店主より皆々様の方が良くご存知の事と思いますので、
歴史的考察はちょっとグーグル先生や、ウィキペディア辞典にでもお願いして、幻想郷史的
には東方妖々夢のラスボス、幽明楼閣の亡霊嬢、西行寺幽々子の御父君に当たる人物で
ございますな。

史実でも彼には娘が居た事になっておりますが、北面の武士と言う大変名誉な武士の位を
惜しげもなく放り出し、二十二歳の若さで出家する時に、すがる5歳の愛娘をなんと縁側から
蹴り落として未練を断ったという破天荒極まりない逸話が残っております。

ちなみに若い頃は相当な美男子であったという俗説が御座いますw
また彼が生きた時代は源平の合戦が苛烈を極める頃、そんな当時の日本を、いくら出家の
身とは言え西へ東へと旅して回ってるわけですから、腕っぷしも確かだったのでしょう。
まさにこの娘にしてこの父ありと言うところでしょうか(´ヮ`)

西行記念館

そんな逸話等様々な西行伝説が、お寺の横に併設されているこの西行寺記念館にて
楽しむ事ができます。
愛娘が蹴り飛ばされてるシーンが描かれている資料もありますので、弘川を訪れた
おりには是非に。大人一人500円、中も桜は綺麗で御座います。

願わくは〜の石碑

さてその西行法師ですが、生前は大の桜好きとして知られておりますな。
そんな彼の性格を実によく現しているのがこの歌。

願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃

ちょっと写真の石碑が達筆すぎて自信ないのですが、おそらくその歌が刻まれたものかと。
間違えていたらご指摘お願いします><

その如月の望月とは旧暦の2月15日で、お釈迦様の入滅した日で御座います。
実際の命日は2月16日で、現在使用されている西暦では3月16日の事ですね。

まあ弘川寺の周辺の桜は現在の暦で4月初旬〜下旬が見頃となっておりますから、
日付はともかく桜の下で入滅できたかどうかは妖しいものですけど、まあ西行妖とも
なれば一ヶ月や二ヶ月満開になりっぱなしであっても不思議じゃないですかねw

西行墳

で、こちらが西行法師の本当のお墓。
実は西行法師の御墓のある弘川寺を現在の桜の名勝としたのは、江戸時代に
この地に移り住んだ似雲法師というお坊さんで、長らく誰のものか解らなかった
この御墓が西行法師のものであったと発見したのも彼なんだそうです。

西行桜山周遊路入り口

その似雲法師も歌人として当時名を馳せており、そのためか彼は西行法師を
大変尊敬していたとの事で、彼の御墓を囲むように桜の木を千本も植え、心からの
弔いとしたそうです。

その千本桜、今は千と五百本にまで増え、この西行桜山と名づけられたお寺の
裏山を見事に彩っており、鑑賞用の散策路もしっかりと整備されております。

桜山景観1

ハイキングには丁度良い山道を、その上に下に霞のようにかかる桜の花を愛でながら、
時に心を奪われて立ち止まりつつ一周するとたっぷり一時間。

桜山景観2

その見事な桜の世界、入山するのに浄財は必要無し。
しかも、これだけの桜の盛りに訪れる人は少なめ、広けた場所にレジャーシートを
敷いてうたた寝していても、お弁当を食べてても苦にされません。

花には団子

店主、そんなのどかな休日を過ごす人が羨ましくなり、その場で山をかけおりて鉄の駒に
火を入れると、たっぷり20分は離れてるであろう最寄のコンビ二で団子と茶を手に入れ、
とって戻して桜山の山頂に駆け上がり、花には団子と洒落込みました。

西行庵跡地

その西行桜山に、かつて西行法師が草庵を結んだという場所があります。
写真だとわかりにくいかも知れませんが、ここからはのどかな弘川の田園風景が一望
する事が出来まして、西行法師はここから、田畑の中から立ち上る炊飯の煙等見て
庶民の暮らしを見守りつつ余生を送ったのでしょう。

京都の桜は、美しく魅せる技に磨かれ咲く花だと、私は感じました。
それに対してこの弘川の桜は、愛されて咲いている花だと、私は感じました。

同じ時を生きた藤原定家が技巧的な歌を誇るのに対し、西行法師は素朴で心境を
隠さず吐露する、自然の美しさをそのまま謳いあげる実直な作風が特徴だそうで、
ならばという訳ではございませんが、最後に富士見の娘さんに春の歌を一首。
素直な所を頂戴いたしまして、今回の商店お開きにさせて頂きます。

西行の娘